アンタッチャブルの10年ぶり復活も話題になった有田哲平さん司会の『全力!脱力タイムズ』を立ち上げ、制作総監督を務めている名城ラリータさんを皆さんはご存じでしょうか?
これまでに『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』などの人気番組にも携わっていて、普段は表に出ない番組制作側の名城ラリータさんですが、その名前が世間に広く知られるようになったのは、ギャル曽根さんとの結婚ではないでしょうか?
今回はそんな、有名人でありますが、あくまで一般の方でフジテレビの子会社フジクリエイティブコーポレーション(FFC)の社員である名城ラリータさんについて探っていこうと思います。
名城ラリータさんの生い立ち
本名:名城ラリータ
生年月日:1976年7月22日
出身地:沖縄県沖縄市
血液型:A型
出身高校:沖縄県立球陽高校
出身大学:日本大学芸術学部放送学科
活動内容:テレビプロデューサー、ディレクター
所属:フジクリエイティブコーポレーション
配偶者:ギャル曽根
木村拓哉に「納得できません」と物申したADが有田哲平と『脱力タイムズ』を作るまで
『全力!脱力タイムズ』制作総監督・名城ラリータさんインタビュー #2 #名城ラリータ #脱力タイムズ #fujitv #文春オンラインhttps://t.co/VyCcPlFST9— 文春オンライン (@bunshun_online) December 20, 2019
お顔を拝見すると察しがつくと思いますが、父親が日本人で、母親がインド人のいわゆる日本語で言うハーフなんだそうです。
そんな、名城ラリータさんは、小学生の頃に見た『夢で逢えたら』(1988~1991年フジ系)のオープニングが今でも忘れられないくらいに印象に残っているそうです。
また、同時期に『お笑いポーポー』(1991~1993年RBCテレビ)という、全編方言でやっている感じの沖縄ローカルの伝説的なお笑いコント番組が放送されていて、大好きだったらしくよく見ていたそうです。
そんなこともあり、高校を卒業すると日本大学芸術学部放送学科へ入学するために上京しました。
最初の担当が『笑っていいとも!』
面白いものはずっと好きだったようですが、どちらかというとバラエティー志向ではなく、ドラマっぽい感じの笑いというか、笑いの“作品”に携わりたいなと思っていた名城ラリータさん。
大学卒業後の2004年にFFCに入社して、何と最初の担当が『笑っていいとも!』でした。
ADとして『笑っていいとも!』に参加したときは、なんだ、バラエティーか…と思ったらしくあまり乗り気ではなかったみたいなんです。
「笑っていいとも!」のADを約2年務めた名城ラリータさんは、次にSMAP×SMAPのチーフADを1年経験しています。
ディレクターになったのはその後なのですが、名城ラリータさんが「SMAP×SMAP」のディレクターになるきっかけを作ったのは木村拓哉さんの一言でした。
久しぶりに読みたくなった記事。番組制作に対する拓哉さんの姿勢はずっと変わらない😊
【テレビの開拓者たち / 名城ラリータ】「木村拓哉さんが僕をディレクターにしてくれた」 https://t.co/6nWwrouTmL #名城ラリータ #木村拓哉 #全力!脱力タイムズ #冗談手帖 #インタビュー #【編集部セレクト】
— しょかか (@Shokaka3Shokaka) November 17, 2019
AD時代に元SMAPの木村拓哉さんに番組制作について物申したことで、逆に木村拓哉さんに気に入られ『SMAP×SMAP』のディレクターとなったそうです。
元々はドラマが作りたかったそうですが、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のアシスタントディレクター (AD) に抜擢され、そこでバラエティ番組の凄さを感じ、番組制作の基礎から企画をすぐ形にする瞬発力を勉強したという名城ラリータさん。
『笑っていいとも!』では後に水曜日担当のディレクターを任されるようになり、タモリさんから“セオリー”を壊すことがバラエティの醍醐味であり面白さであること。
熱意でなんとかしようとするのはディレクターのすることではなく、きちんと冷静に物事を見極めてその上で面白いことを考えるのが、ディレクターの正しい姿なんだというのを教えてもらいました。
名城ラリータさんが携わった番組としては、
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ系)
SMAP×SMAP(フジテレビ系)
ココリコミラクルタイプ(フジテレビ系)
もしもツアーズ(フジテレビ系)
全国一斉!日本人テスト(フジテレビ系)
写ねーる(NHK BSプレミアム)
今、この顔がスゴい!(TBS系)
オモクリ監督(フジテレビ系)
冗談手帖(BSフジ)
全力!脱力タイムズ(フジテレビ系)
千鳥のクセがスゴいネタGP(フジテレビ系)
などがあります。
名城ラリータさんとギャル曽根さん
後に結婚することになる名城ラリータさんとギャル曽根さんは、仕事を通じて知合いました。
当時名城ラリータさんが担当していた番組にギャル曽根さんを起用したのがきっかけで、その頃のギャル曽根さんは今のように有名だったわけではなく、大食い選手権に出演する程度の、ただの底なし大食い女性タレントでした。
一方、名城ラリータさんも小さな番組しか手掛けておらず、ギャル曽根さんを起用した番組はギャラも払えないほど低予算だったそうで、そのため名城ラリータさんはギャラの代わりとして、ギャル曽根さんに月1回ご飯をごちそうする約束をしていたといいます。
そこで、美味しそうにご飯を食べるギャル曽根さんの姿を見て、次第にギャル曽根さんに恋愛感情を持つようになったそうです。
そしてギャル曽根さんを故郷・沖縄県に連れていった名城ラリータさんは、沖縄の海でギャル曽根さんに告白しています。
その後交際がスタートした2人は、2008年頃から同棲することになり、交際1年半で結婚しました。
プロポーズはギャル曽根さんの誕生日で、その日東京ディズニーランドに行っていた2人ですが、ギャル曽根さんが部屋におもちゃ箱が置かれているのに気付き箱を開けると、指輪とディズニーのおもちゃが入っており、名城ラリータさんから「世界一あなたのことを愛しています。結婚してください。」と直接プロポーズの言葉をかけられたそうです。
ギャル曽根さんはプロポーズを受け入れ、二人は2011年7月に晴れて結婚することになりました。
ギャル曽根さんとは“胃袋婚”・・?
ギャル曽根さんは、大食いをきっかけに有名になったタレントなので、料理は得意で調理師免許や野菜ソムリエなどの資格も持っています。
新婚当時は、新妻として手料理を振る舞う毎日だったといい「男の人の胃袋つかむのは大事。それで本当に結婚までもっていけるんだなと思いました“胃袋婚”ですね」と、勝ち誇っていました。
また、自身のオリジナルダイエットレシピで、名城ラリータさんの体重を半年で15キロ減量させたことも明かし「自分の作った料理を人に食べてもらうのが、こんなに嬉しいことなんだと感じました」と笑顔で語っておられたこともありました。
最後に一言
タモリさんや木村拓哉さん、そして有田哲平さんなどこれまで多くの方々と仕事をさせてもらって感じたのは、面白さとタレントの理想を両立させられるのがディレクターの力量だということ。
そして面白い番組のディレクターたちはみんな、自分が一番面白がっているということ。
自分もそんな、打ち合わせからゲラゲラ笑って、誰よりも楽しみながら番組を作っていけるようなディレクターでいたいと語っておられました。
その精神で、これからもテレビを盛り上げていってほしいものです。
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