ヒロシの生い立ち。ネクラな性格でパニック障害もソロキャンプで治癒。

屋外

2000年代にヒロシです!の自虐ネタで爆発的な人気と、なったお笑い芸人のヒロシさんですが、皆さんは、ご存じでしょうか?

その後、いつの間にか見かけなくなっていましたが最近は、YouTubeにキャンプ動画をアップしたりして、ソロキャンプブームの火付け役と言われており、関連商品のお店をだすなど、多岐にわたりビジネスを成功していると話題になっています。

今回はそんな、ソロキャンパー・ヒロシさんについて探っていこうと思います。

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ヒロシさんの生い立ち

名前:ヒロシ
本名:齊藤健一(さいとうけんいち)
生年月日:1972年1月23日
出身地:熊本県荒尾市
出身高校:熊本県立荒尾高等学校
出身大学:九州産業大学商学部商学科
身長:175cm
体重:70kg
血液型:O型
趣味:キャンプ、キャンプグッズ集め
釣り、家庭菜園、熱帯魚飼育
職業:お笑い芸人、YouTuber
所属事務所: ヒロシ・コーポレーション


ヒロシさんの父親が炭鉱夫だったため、ヒロシさんの家族も、炭鉱で働いている人が住む炭鉱住宅に住んでいました。

小学生の頃は、漫才ブームの真っただ中で、特に好きだったのがツービートの漫才でした。「芸人」という職業に衝撃を受けたヒロシさん。

自然と芸人の世界へ憧れの気持ちが強くなったのもこの頃だったようです。

しかし小学生時代は、ネクラでいじめられっ子のヒロシ少年は、中学は地元の荒尾市立荒尾第三中学校に進学。

中学三年生の時の三者面談で、初めて「芸人になりたい」と打ち明けましたが、担任の先生に軽くあしらわれてしまいます。

そして、熊本県立荒尾高等学校から推薦で九州産業大学商学部商学科に進学。

大学一年生の時に男友達2人を誘って、お笑いトリオ「貴族」を結成し、吉本興業が主催するお笑いオーディション番組「激辛!?お笑いめんたい子」(テレビ西日本)の熊本予選に参加しますがあえなく、不合格となります。

折しも就職氷河期の始まりの時期と重なり、就職が決まらないまま大学を卒業したヒロシさんは、実家に帰るとしばらくはダラダラとした生活を送ることになります。

その後、両親が知人の紹介でヒロシさんを保険会社に就職させ損害保険の営業の仕事に就くことになります・・・

しかし人見知りの性格であったため、営業の仕事が務まらず更には、サラリーマン生活自体、不向きだと考えるようになり、入社から半年も待たずに退職することになります。

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ヒロシさん、芸人を志すようになって・・

いろいろあって福岡吉本になんとか入れることとなり「ベイビーズ」を結成しましたが、3年間所属した福岡吉本を辞め、26歳の時に上京しています。

当時は芸人仲間6人と中野区の6畳一間のアパートで共同生活を送っていたのですが、なんやかんやでコンビは解散。

生活費に困っていたところ、ライブに出ていた芸人仲間から「ホストは稼げるし、モテるぞ」と聞き、ヒロシさんは騙されて知り合いの遠いつてをたどり、歌舞伎町の小さな店で働き始めました。

(源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」と名乗りました。)

お酒が飲めないヒロシさんでしたが、そんなことはお構いなしで毎晩、大量の酒を飲まされ、飲まないと怒鳴られる始末で、仕事を休むと罰金3万円を払わされるといったツライ日々が続いたようです。

ヒロシさんは、指名がほとんどなかった為、給料は月3万円程度で、唯一の休みだった日曜日は、コンビニでアルバイトをしていたようです。

しかたなくホストクラブを辞めようとすると「代わりのホストを探せ」と脅され、逃げようとすると1日6万円の借用書を書かされ、取り立てに来られる始末。

29歳から31歳までの、このホスト時代を「まさに生き地獄」だったとのちに、ヒロシさんは回想しています。

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ヒロシさん、夢破れて故郷へ逆戻り

ホスト時代、芸人に戻りたいと考えていたのですが、ライブやテレビ番組に出れば居場所を特定され連れ戻されるかも知れないという恐怖心を感じていたヒロシさん。

心身ともに限界を超え、2003年の1月に誰にも告げずに熊本の実家に帰ることにしました。

それから2か月間は、実家に引きこもり幼い頃いじめられた経験、女性にモテなかった青春時代、ホストとして働いていた時の情けなさ、悔しさなど様々な思いをひたすら大学ノートに書き溜めます。

そのとき、生まれたのが「ヒロシです」のネタでした。

ちなみに、「ヒロシ」という芸名は、フリーアナウンサーの生島ヒロシに由来していて、たまたま家にあった雑誌の表紙に生島ヒロシが写っており、「親しみやすい名前」だと思って安易に、採用したとのことだとです。

ヒロシさん、ブレイクの予感

2004年、三宅裕司くりぃむしちゅーが司会を務める「笑いの金メダル」に出演することになったヒロシさん。

当初は1回出演するだけの予定でしたが、三宅裕司とくりぃむしちゅーが気に入ってくれたため、その後何度か出演し、ブレイクのきっかけとなりました。

ブレイクする少し前、「あっぱれ!!さんま大教授」美輪明宏の今一番気になる人としてゲスト出演した際は、美輪明宏から「誰にでも思い当たるようなことをネタにするセンスと、照明やポーズを含めた自己演出に秀でているすごく頭がいい芸人」と称賛され、すぐに、美輪明宏のファンになりました。

売れすぎて自分の居場所を見失った。

ブレイクした後、ネタの量産、バラエティ番組での気の利いたコメント、先輩芸人などとの付き合いなど元来、ヒロシさんが苦手とすることがたくさん求められた結果、色々なことが重なり精神的に限界を感じて、ブレイクから約5年後には事務所に「もうテレビに出ません」と伝えたヒロシさん。

自分から断ったとはいえ仕事は激減し、2010年には収入が全くない時期が3、4か月あり、事務所からは、給与明細すら届かなかったこともあったそうです。

また、生活のために違う仕事をしようと思ったが顔を知られているため、アルバイト探しも大変で、人に会わなくて済むだろうと思い、長距離トラックの運転手を目指そうと思ったが、荷物の積み下ろしで人と会うのが怖くて断念。

元々田舎暮らしが好きだった為、田舎で農作業をやろうと考えましたが、田舎ならではの濃厚な人間関係の中に「ヒロシ」が登場することで訪れる騒ぎを恐れて断念。

ネガティブな方向に考えが偏っていて、このままでは危ないと生命の危険を感じ、病院の精神科を受診したところ、パニック障害と診断されました。

そして薬物治療と趣味を見つけることを助言されたヒロシさんは、なんとか立ち直ったのでした。ソロキャンプは、治療の一環だったかもしれませんね・・・!?

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最後に一言

2015年6月、バラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に「極度の人見知りなのに芸能界に入ってしまった先生」として登場し、2004年から2005年のブレイクから仕事を失い、今に至るまでの話を語っています。

番組の終わりには、教訓として「しくじっても信念があれば、その先に幸せが待っている」と力強く伝えています。

そんな、ヒロシさんは2015年6月に、個人事務所ヒロシ・コーポレーションの事務所としても兼用となるカフェ&カラオケ喫茶「ヒロシのお店」を開店させています。

2018年8月には「ヒロシのお店」を改装し、カフェ「FOREST COFFEE」として新装開店しました。

そして、キャンプの拠点となる場所を確保するために、関東近郊の山林3000平方メートル(約1000坪)を購入したことを明らかにしました。

これで、だれにも邪魔されずに仲間たちと、ソロキャンプを楽しめることができるのでした。

今は自分のやりたいことだけやれている・ヒロシです。

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