宮本浩次はエレカシでポルシェ好き!みんなのうた「はじめての僕デス」

テレビ

車が大好きで小学校の頃から乗るならポルシェと決めていたらしく、最初に購入した車はポルシェ・ボクスター、次にポルシェ・カレラRSとポルシェ以外の車を所有したことがないという宮本浩次さんですが、皆さんはご存じでしょうか?

エレファントカシマシという音楽グループのボーカルとして活躍していましたが、2012年9月1日に左耳が聞こえなくなり、急性感音難聴と診断され、9月5日に手術を受けました。

日常生活に支障はなかったものの、聴力が安定していないことなどを理由に、10月2日
にライブ活動休止の報告をファンに向けて行っています。

その後、現在に至るまで、宮本浩次さんについて探っていこうと思います。

宮本浩次の生い立ち

名前:宮本浩次(みやもとひろじ)
生年月日:1966年6月12日
出身地:東京都北区赤羽
出身高校:高輪高等学校
出身大学:東京国際大学商学部
身長:170cm
血液型:O型
職業:シンガーソングライター
所属事務所:アミューズ

エレファントカシマシ・メンバー
宮本浩次 (ボーカル・ギター)
石森敏行 (ギター)
高緑成治 (ベース)
冨永義之 (ドラムス)

 

お母さんが彼の歌の才能を伸ばしたいとNHK東京児童合唱団に入団させ、小学校3年生から5年生まで声楽指導を受けていました。

ソロを任されるほど歌が上手くボーイ・ソプラノのスター的存在であったにもかかわらず、女の子が多い環境に恥ずかしさもあり、嫌気がさして途中でやめてしまいます。

中学の後半からは同級生とバンドを組んで音楽にのめり込んでいきます。東京国際大学商学部に進学して在学中にメジャーデビューしましたが、破天荒なイメージとは違いちゃんと卒業しています。

1997年にフジテレビのドラマ「月の輝く夜だから」の主題歌として発売された「今宵の月のように」は80万枚を超える大ヒットとなり、一躍エレファントカシマシの名前を有名にしました。

ちなみに、24歳までは、赤羽台団地の2LDKに両親と生活。25歳からは、同じく赤羽台団地の3階に移り、一人暮らしを始めたそうですよ。

スポンサーリンク

宮本浩次さんの実質的なソロデビューシングル

1976年に、NHKの音楽番組『みんなのうた』で放送された作詞:関沢新一、作曲:中村勝彦歌:宮本浩次の「はじめての僕デス」という作品が宮本浩次さんの実質的なソロデビューシングルです。

「はじめての僕デス」は、ある町に引っ越してきた少年の自己紹介や家族紹介を歌った楽曲で当時、「東京放送児童合唱団」に所属していた宮本浩次さんが、小学4年生の10歳の時に発売された楽曲でした。

本楽曲は10万枚の売上を記録しています。尚、この曲は、加藤茶(ザ・ドリフターズ)によるカバーが存在し、志村けん(ザ・ドリフターズ)の『東村山音頭』と両A面シングルで発売もされていました。

苦境からの脱却そして栄光へ

デビューはしたもののメジャーには程遠く、幾多の試練がありましたが、その度に立ち止まりどうすればいいんだろう? と考えながら成長してきたという宮本浩次さん。

27歳のときは事務所も解散して、収入もゼロになるなど大きな挫折を味わい、不安で不安でしょうがなかったようです。

そんな時、苦境に立たされて初めて発揮できる潜在能力がむくむくと出てきてMr.Childrenとかスピッツとか、当時、花盛りだったJポップを研究して、どうしてもヒットを出したいと作ったのが、1996年に発表した「悲しみの果て」と「四月の風」でした。

この曲でやっとメジャーの仲間入りを果たすことができたエレファントカシマシ。

デビュー30周年を迎えた2017年は充実した1年でした。

記念ベスト盤をリリースしたり、念願だった47都道府県ツアーを開催したり、曲作りの依頼もたくさん舞い込み、NHKの『みんなのうた』からのオファーを受けて「風と共に」を発表しました。

そのほかにも『FNS27時間テレビ にほんのれきし』のドラマ主題歌「RESTART」と、それから大晦日には、『NHK紅白歌合戦』に初出場するという、まさに至れり尽くせりで・・

紅白で歌った「今宵の月のように」は、1997年に『月の輝く夜だから』というドラマの主題歌になって、80万枚売れたバンド史上最大のヒット曲となりました。

エレカシの代表曲を国民的歌番組で高らかに歌うということの歓び、エレファントカシマシというバンドの存在や歌が肯定されたんだという実感を得られた体験でした。

ここまであきらめずにやってきてよかったと思うことができたし、胸を張って舞台に立っている自分たちがここにいるという現実がまさしく感無量で非常に嬉しかったと語っています。

スポンサーリンク

急性感音難聴になって・・

急性感音難聴になったのも大事件で、このまま耳が聞こえなくなるのではと本当に怖かった思いをしたとのことですが、怪我の功名というか、それまで1日に120本くらい吸っていた煙草を2週間入院している間にやめることができたことはよかったと言います。

コンサートのあとに1時間くらい咳き込んじゃうときもあって、このままじゃヤバいと思いつつ、意志が弱くてやめられず、あのまま吸い続けていたら、ライブ活動は断念していたかもしれません、と後日談で語られています。

まとめとして

中学校の同級生と高校の同級生の4人からなるロックバンド、エレファントカシマシ

高校時代からライブハウスで活動し、88年にエピック・ソニーからメジャーデビューを果たしますが、宮本浩次さんが作詞・作曲を手がける楽曲や独自の表現で注目を集めながらも、CDの売り上げ不振から94年に契約を切られ、その後もレコード会社の移籍を繰り返しました。

2007年にユニバーサルミュージックの所属となり、第1弾シングル「俺たちの明日」がCMに起用されるなど順調に活動を続けるも、2012年には宮本浩次さんが急性感音難聴になり、ライブ活動休止を余儀なくされました。

がしかし翌年9月、日比谷野外大音楽堂にて行われた「復活の野音」で活動を再開することとなりました。

宮本浩次さんの「Easy Go」という曲には、「神様、俺は今人生のどのあたり」というくだりが出てきます。

意気揚々とした状態でいられる残り時間が、少なくなってきたのを感じる彼は自分の心地よさを優先したいと・・


フランスの文豪ビクトル・ユゴーの言葉に「40歳は青年の老年期であり、50歳は老年の青春期である」というのがあって、本当にそうだなと感じている宮本浩次さん。

もちろん誰かのために生きることも大切だけど、本気で自由に生きることができるのが大人の特権。

一度きりの人生なんだから、自分の幸せを探求すべきで、ただし、その幸せは苦しみや悲しみを知っている大人だからこそ享受できるものだというのが持論だとか・・・

いい歌を作って、いいライブをして、たくさんの人に喜んでもらうこと以上に嬉しいことがあるとは思えないという宮本浩次さん。

これからも自分にふさわしい人生を生きて、無理しないで走り続けてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました