勝俣州和の生い立ち。優しき兄貴キャラは、アッコファミリーの長男?

テレビ

今やバラエティ番組の盛り上げ役として欠かす事が出来ない存在として、とんねるずダウンタウンら大物芸人たちとや大御所さんと、共演者を選ばない売れっ子として活躍中の勝俣州和さんですが皆さんはご存じでしょうか?

若かりし頃はアイドルグループ「CHA-CHA」のメンバーとして大活躍した勝俣州和さん。歌って踊るだけでなくお笑いも出来るアイドルグループとして瞬く間に人気者になったようですが・・・

アッコファミリーの長男として名の知られているように、芸能界では誰からも好かれるキャラクターとして愛されています。

今回はその信頼度の高さから「バラエティ界最強のバイプレイヤー」との呼ばれている勝俣州和さんについて探っていこうと思います。

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勝俣州和さんの生い立ち

名前:勝俣州和(かつまたくにかず)
生年月日:1965年3月12日
出身地:宮城県仙台市
出身高校:日本大学三島高等学校
出身大学:日本大学文理学部国文学科中退
身長:171センチ
血液型:O型
趣味:読書、絵画、プロレス・格闘技観戦、
パチンコ、登山、釣り、ボディボード
特技:料理、社交ダンス、
水泳、バスケットボール
所属事務所:融合事務所


勝俣州和さんは、7人兄弟の長男として宮城県仙台市に生まれ、静岡県御殿場市で育ちました。

家の窓を開けると目の前に富士山が見える実家は衣料品店を営んでおり、長男だった勝俣州和さんは、弟や妹のお手本にならねばという思いもあり、マジメな子どもで小中高とずっと学級委員長をしていたとのことです。

その後、上京して国語の教師になろうと入学した大学では、4年生のときに「教師にはなれない」と教授から言われ、あっさり退学してしまいます。

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ひょんなことから芸能界へ

悲観して帰郷を考えていましたが、せっかく東京に出てきたのだから何かを見つけて帰ろうと思いとどまり、いったん自分を見つめ直した時に、自分には根性が足りないと自己分析した勝俣州和さんは、哀川翔、柳葉敏郎が所属する「劇男一世風靡」入りを志しました。

しかし、生意気だから社会勉強をしてこいと放り出される始末で、半年後にオーディションを受けるも結果は不合格でした。

それでも、お前は面白そうだからという理由で、付き人として事務所に出入りさせてもらえることになったそうです。

その後、日本テレビの『欽きらリン530!!』番組オーディションを受けた際に萩本欽一さんに見出され、欽ちゃんファミリーの一員となり、お茶の間のアイドルに成長していきました。

この番組から誕生したアイドルグループ「CHA-CHA」の時代は、大変な人気でした。

冠番組『CHA-CHAワールド』への出演や、音楽番組に出演するなどアイドルとしても活動。

1990年代まではアイドルや俳優業が中心でしたが、トークが出来ることもあり、バラエティー番組にも進出するようになります。

『CHA-CHA』解散後の1992年には堀部圭亮と共にお笑いユニット『K2』を結成し、以降は『笑っていいとも!』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』などのバラエティ番組を中心に活動し、現在は、そのキャラクターが共演者にも愛され、タレントとして安定したポジションを確立しています。

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私生活では独身時代が長かった

私生活では独身時代が長かったこともあり、テレビ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の企画ユニット『もてないブラザーズ』として、内村光良と共に「もてないキャラ」として取り上げられた時期もありました。

その後、2002年10月4日に国際線のキャビンアテンダントだった8歳年下の一般女性と結婚。

馴れ初めは共通の知人の紹介でしたが、勝俣州和さんが35歳で初めて自分から告白して交際した女性でした。

当時、国際線のキャビンアテンダントだった彼女と売れっ子タレントだった勝俣さんは時間をやりくりしながら早朝デートを重ねて愛を育み交際をはじめて2年がたった頃、勝俣州和さんから「幸せになろうよ」とディズニーランドのシンデレラ城の前でプロポーズし、めでたくゴールインとなったのでした。

2020年の現在は奥様は専業主婦で、2004年には女の子、2008年には、男の子がそれぞれ誕生しています。

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最後に一言

テレビ番組には年中、七分丈ズボンを履いて出演することで知られる、勝俣州和さんですが、和田アキ子とは家族ぐるみの付き合いがあり、芸能界における「アッコファミリー」の代表格として知られています。


デビューの経緯から萩本欽一を師匠と仰いでいますが、芸人やコメディアンを目指していたわけではなく、たまたま合格したことから上下関係は希薄であり、当初からフレンドリーな会話や相談事をしていました。

伸び悩んでいる時期に萩本欽一へ「面白くなるためにはどうすればいいか」と質問したところ、「面白くなんかならなくていいよ。もっと優しくなれ。優しい人がやっている笑いはみんなが笑う。冷たい人がやる笑いは誰かを傷つけて泣かせているかもしれない。だったら笑いの技術を磨くより優しい人間になれ。その優しさを研ぎ澄ませていったら、みんなをやさしい気持ちにできるから」と助言をもらい、その言葉を今も糧にして、日々、精進されているようです。

もっと優しくなって、これからもたくさんの人たちに明るい笑いを届けてください。

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