皆さんは覚えていますか?約30年前に松田優作という俳優さんがいたことを・・
今でも多くのファンの心に住み着いている伝説の俳優さんです。
彼は40歳という若さでこの世を去りました。とても短く儚い生涯でした。神様はなぜにこのような試練を彼に与えたのでしょうか?
早すぎる人生を駆け抜けてしまった松田優作さんの人生を振り返ってみます。
今日も今日とて…
お疲れ様です😎今から
出勤! 出動!
行ってきマース💨Boon#松田優作 #vesupa pic.twitter.com/c22LYnKeEA— 工藤ちゃん😎 (@KudohTNT) June 20, 2021
松田優作さんのプロフィール
名前:松田優作(まつだゆうさく)
本名: 金優作
出身地:山口県下関市
生年月日:1949年9月21日
1989年11月6日、40歳で逝去
身長:183cm
血液型:A型
職業:俳優、歌手
1972年、文学座付属演劇研究所12期生として入所した松田優作さんは、1973年NTV「太陽にほえろ!」でジーパン刑事として鮮烈デビューを果たします。
1978年、村川透監督と初めてコンビを組み、『最も危険な遊戯』でスクリーンスターとして個性溢れる演技を披露。
村川透監督とはその後も、『蘇える金狼』、『野獣死すべし』とハードボイルドアクションの傑作を発表し、ヒットにつなげています。
また、テレビではNTV「探偵物語」の主演、工藤俊作役をコミカルに演じ、映画とのギャップでお茶の間の人気を独り占めにしました。
1983年には森田芳光監督の『家族ゲーム』に主演し、役者としての演技の幅を十分に魅せて、キネマ旬報主演男優賞・報知映画賞など数々の映画賞を受賞しています。
1989年、松田優作にとっては遺作となる、リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』に出演し、国際的にも高い評価を得るが・・・
治療を拒否したため、膀胱がんで・・
松田優作さんの死因にもなった膀胱癌(ぼうこうがん)は、膀胱から発生する上皮性悪性腫瘍で、症状は主に「血尿」です。
しかし、膀胱がんは進行が早く、血尿が出た時点でも発見は遅すぎることもあります。
すぐにでも入院して治療を開始すべきでしたが、尿に血が混じるようになり、診察をした時にはかなり進行している状態であったようです。
松田優作さんは膀胱がんで血尿が止まらない状態にもかかわらず、映画『ブラック・レイン』の撮影のためにアメリカに渡りました。
さらに松田優作さんは医者嫌いで知られていましたし、そんなこともあり治療を拒否します。
この映画ではアクションシーンが多くあり、がんの治療を行うと演技をすることができないと判断して撮影中には激しい痛みも、ともなっていたようですが治療を行わずにこの映画にかけようと撮影に臨みました。
結局、俳優として生きることに生涯をかけた、松田優作さんは1989年11月6日、午後6時45分に入院中の東京都武蔵野市にある西窪病院 (現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため、40歳で死去しました。
今なら治っていたかも
松田優作さんに、症状が出始めたのは死去のわずか1年前だったようですが、現在、大阪医科大学の東治人准教授チームが“膀胱を取らずに、9割以上の確率で根治する”「大阪医科大式膀胱温存療法」という画期的な治療法を開発しています。
その治療法には、
1・膀胱につながる動脈の血流を遮断し、膀胱内だけに抗がん剤を循環させる
2・膀胱から出る静脈に透析を行い、抗がん剤を除去する
3・上記と同時に膀胱に放射線を照射し、がんを徹底的に死滅させるという三つのポイントがあります。
現代医学の進歩は目覚ましく、治っていたかもしれないことを考えると誠に持って惜しい感じですが、それも運命なのでしょうか?そうでも思わないとやり切れません・・
最後に一言
松田優作さんの死因である、ぼうこう癌は現代では治療法もしっかりと確立されています。
当時の医療技術がもっと進歩していたら現在の「大阪医科大式膀胱温存療法」がもっと早く確立していたらと思うと誠に残念でありません。
皆さんの中には、松田優作さんの死因を知らなかった、という方も多かったのではないかと思います。
969[#癌治療]
進行した #膀胱がん に #新薬 登場!
抗体と組み合わせ効果!#パドセブ 抗体薬物複合体(ADC)とは?詳しくはこちら↓#免疫力 #末期ガン #抗がん剤 #免疫療法https://t.co/jtj6UhuTh5
— Sarah@末期癌から生還した父と同級生の記録!今、癌と闘う方々の希望や勇気となりますように (@sarah_miracosta) April 27, 2022
しかし、今では膀胱癌は決して恐い病気ではありませんし、早期発見してきちんとした治療を行えば現代では治る病気なんです。
みなさんも、定期検診をしっかり受けて自分の体を大切にしましょう。
コメント