小峠英二の生い立ち。ブランキーの影響でカマロのはずがノヴァになって

テレビ

2012年、『キングオブコント』では、決勝へ初進出し優勝。『帰省』のネタを披露し、974点という記録を出し、総合でも歴代最高得点の1941点を獲得したお笑いコンビ『バイきんぐ』

このネタで小峠英二が発した「なんて日だ!」というフレーズは本人の持ちギャグにもなっていて、知らない人はいないくらい・・?

夢はありますかという問いに、特に無いという。しいていうならばとにかくテレビに出続けること。テレビに出るためにお笑いをやっていると力強く答えています。

今回はそんな、テレビに出たくてお笑いを始めたことに一点の曇りもない小峠英二さんについて探っていこうと思います。

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小峠英二さんの生い立ち

名前:小峠英二(ことうげえいじ)
生年月日:1976年6月6日
出身地:福岡県田川郡大任町
出身高校:福岡県立東鷹高等学校
身長:170cm
体重:55kg
血液型:O型
趣味:音楽鑑賞、パンク・ロックミュージック
特技:ギター
所属事務所:SMA NEET Project

SMA NEET Projectとは・・・?

SMA NEET Project(エスエムエー・ニート・プロジェクト)は、2004年にソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)内で立ち上げられたお笑い芸人のためのプロジェクトです。

主に他事務所に所属していた、うだつの上がらない芸人を集め「来る者拒まず、去る者追わず」を基本としており、諸事情がある芸人たちの「最後の砦」としての役目を担っています。

著名な所属タレントとしては、

SAKURAI
錦鯉(長谷川雅紀/渡辺隆)
AMEMIYA
ハリウッドザコシショウ
アキラ100%
コウメ太夫
などが在籍しています。


小峠英二さんは、3人兄弟の次男として生まれました。小学校のころからお笑いが大好きで、中学時代は、野球部に所属していたものの、3年間ずっと補欠だったようです。

それでも、中高生時代はパンクバンドを結成してギターやボーカルを担当するほどのロッカーでしたが、芸人になりたいと本気で思い始めたのは、高校生の時で夏休みに初めて東京に行きます。

2カ月くらい野宿しながら、バイトで生計を立てて、そのとき「笑っていいとも!」素人参加コーナーに、一緒に来ていた友達と出ました。

初めてのテレビで、一発芸をやったらそれが面白くて、すぐにでもお笑いをやりたくて、夏休み明けに福岡に戻った瞬間、親に「学校を辞める」と宣言します。

それに対しもちろん親は反対で休学と言う形で折り合いをつけ、すぐに一人で大阪に行き、半年くらいして満を持して吉本の養成所の面接を受けましたが落ちます。

落ちたら福岡へ戻る約束だったので、高2をもう一回やることになり結局、高校を4年で卒業した後に、NSC大阪校の17期として養成所へ入ることになりました。

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お笑いコンビ『バイきんぐ』を結成

小峠英二さんが西村瑞樹さんに初めて会ったのは自動車教習所でした。

高3のときに大分の教習所の合宿免許に行ったら、そこに西村さんもいました。

3週間ほど一緒にいたんですけど、そのときは一言もしゃべらなかったようです。

それから半年後に大阪吉本の養成所の面接があって、そしたらそこに西村さんも受けに来ていたんです。

土日の2日間に分けられて、さらに10分間ずつ10人の集団面接と、だいぶ細分化されたんですが、たまたま同じグループに西村さんがいて・・

「これは運命だ」と思って結成を持ちかけ、1996年に相方・西村瑞樹とお笑いコンビ『バイきんぐ』を結成し、主にネタ作り・ツッコミを担当することになります。

相方:西村瑞樹(にしむらみずき)
1977年4月23日生まれ
広島県広島市出身、
兵庫県立尼崎稲園高等学校卒業、ボケ担当。


養成所卒業後は、そのまま大阪で4年ほど活動をしていましたが、モチベーションを保つのが難しくなった事をきっかけに、いつか東京で有名にならなきゃという思いから上京します。

しかし、1999年頃にはワタナベエンターテインメントに移籍して、2004年頃に東京吉本へ所属するも、どちらも1年ほどで契約解除となってしまいます。

その後は、諸事情がある芸人たちの「最後の砦」としての救済事務所的感覚のあるSMANEETProject(エスエムエー・ニート・プロジェクト)に所属します。

事務所内での切磋琢磨もあり、「キングオブコント2012」優勝をきっかけにブレイクし、いまや日本のお笑い界に欠かせない存在となってしまいました。

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愛車は1966年式シボレー シェビーⅡ ノヴァ

中学生の頃からパンクやロックを聴き続けている小峠英二少年。

『ブランキー・ジェット・シティ』というバンドがずっと大好きで……

ブランキーのメンバーが古いアメ車や単車に乗っていたことからその影響を受けて、最初に買おうと思ってたのは、アメ車のカマロでした。

ブランキー・ジェット・シティの『カマロ』っていう曲の影響で「カマロに乗って『カマロ』を聴く」というのがなんとなくの目標だったのですが実車のカマロは、でかすぎて結局、縁があったノヴァになってしまいます・・・

ノヴァには一番に、ジュニアさんに・・

テレビに出て名前が売れるようになって以来、ずっとジュニアさんにお世話になってきた小峠英二さん。

ノヴァを納車したら一番に、ジュニアさんに乗ってもらおうと決めていたらしく、納車の前日にジュニアさんに連絡して、ノヴァで仕事の現場まで送る約束をしたといいます。

ついにジュニアさんを乗せた後は「車を買ったら最初にかける」と決めていたブランキーの『D.I.J.のピストル』っていう、一番好きな曲をかけました。

「アメ車を買ってブランキーをかける」というのが一つの夢だったので、しかも好きな人を横に乗せてということで感極まり思わず涙したそうです。

でも初めての左ハンドルだから全然うまく運転できなくて、結局その日、ジュニアさんは遅刻したそうです。小峠さん!さすがにオチをつけますね。

また、根がまじめな小峠さんは、アメ車を維持管理することにも長けており、定期的に消耗品を交換したり、ボディが汚れたらすぐに拭くなど、旧車を維持するための小さな気配りを欠かすことはありません。またその積み重ねが大事であるともいいます。

旧車オーナーなら、小峠さんのお話に共感する部分も多いのではないでしょうか。

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最後に一言

それほど大事な車ですが・・ドッキリ企画の道具として仕掛けられたことがあります。

視聴者からは、可哀そうと批判が殺到しましたが、当の本人はおもしろければ、なんでもいいと思っているようですが・・さすがに傷付くのは嫌みたいですけど・・

汚されても洗って落ちるレベルであれば全然大丈夫とのことで・・そんな小峠さん、夢はありませんと、はっきり申しております。

ただお笑いの場にいられることが、一番の幸せという彼は、『僕はお笑いが一番好きで、その次が音楽だとおもっています。

ただ、お笑いと音楽の間というのは、ぶっちぎってお笑いのほうが上なんで、音楽から下の差はあんまりないような気がするんですけど、お笑いだけは一番ですね、断トツで』と語っておられます。

最愛の人である、ブランキーから得たものは“オンリーワンの強さ”だという小峠さん。

自分は誰とも被らないようにしたいし、誰か、みたいだと言われたくないといいます。

おもしろければいい、そこに笑いが生まれるのであればなんでもいい。

何をやられても、オモシロければどんなことでもするという覚悟で疾走する小峠さん。笑いを追求していく様は、まさにお笑いの求道者です。

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