大衆演劇「梅沢劇団」の第3代座長の梅沢富美男さんをご存じでしょうか?
役者活動の傍ら、1982年に小椋佳さん作詞作曲による『夢芝居』で歌手デビューを果たしています。
最近では、司会者やコメンテーターなど幅広い分野で大活躍しており、CMでもよく見かけるようになりましたよね。
今回はそんな世代を超えて人気者になった、梅沢富美男さんを探っていこうと思います。
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梅沢富美男さんの生い立ち
名前:梅沢富美男(うめざわとみお)
本名:池田富美男
出身地:福島県福島市
生年月日:1950年11月9日
職業:俳優、歌手、タレント、コメンテーター
所属:株式会社富美男企画
大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長
株式会社富美男企画代表取締役
既婚:
妻の池田明子はフィトセラピスト(植物療法士)
1939年に旗揚げした剣劇一座「梅沢劇団」の創設者にして、戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期のスターであった父・梅沢清と、娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の間に、8人兄弟の五男(第7子)として生まれた梅沢富美男さん。
生まれた当時、阪神タイガースの主力選手だった藤村富美男にちなんで「富美男」と名付けられたようです。
梅沢富美男さんは当初男役を演じていましたが、兄である梅沢武生さんの勧めで女形を演じ、それが評判になりそのまま女形に転身することになります。
梅沢富美男さんは独学で学び得た、女形の所作の美しさが一躍話題となって「下町の玉三郎」と呼ばれ一座のスターになってメディアの露出やマスコミなどからの取材も多くなり、それがファンの拡大につながりました。
1982年にドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系)に出演し、同じ年に『夢芝居』が大ヒットして、翌年の1983年には同曲で『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場することになりました。
しかし、ある問題が世間に知れ渡ることになります!
梅沢富美男は妻子がいることを隠していた
1984年1月に梅沢富美男さん(当時33歳)は実は結婚していて、隠し妻さらには隠し子がいることが明らかになったのです。
明らかになった隠し妻の名前は、京子さん(当時27歳)、そして隠し子の名前も清章(きよあき)くん(当時4歳)だということがわかりました。
1984年1月11日に、梅沢富美男さんと母親の千子(ちね)さん、そして兄で梅沢劇団の座長(当時)を務めていた武生(たけお)さんが、東京・赤坂プリンスホテルで全マスコミを招き、説明とお詫びの記者会見を開いています。
7年間に渡って隠し通してきた妻子の存在について、始めて会見で明らかにしたのでした。
しかし、それから3年後の梅沢富美男さん36歳の時には、現在の妻となる土井明子さん(当時30歳)と知り合い、結婚しています。
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梅沢富美男さん再婚に至るまでの軌跡
馴れ初めは、1987年におこなわれた「移民百年祭」でした。
元々、明子さんの両親が梅沢富美男さんの大ファンだったこともあり、明子さんは両親と共にハワイやロサンゼルス、サンフランシスコに住む日系二世や三世たちのために行う演劇「移民百年祭」を見るためにアメリカまで行っています。
明子さんの実家である土井家は当時、不動産業を営んでおりバブル全盛期には、かなり豊かな生活をしていたようで、家族で梅沢富美男さんの海外公演も見に行くほどお金に余裕があったのでした。
そこで梅沢富美男さんは明子さんに一目惚れしてしまいます。梅沢富美男さんは明子さんをハワイで遊びに誘ったことで急接近!
こうして、あれよあれよという間に結婚することとなり、今では二人の女の子を授かって幸せに暮らしています。
2020年の11月に放送されたテレビの旅番組に、夫婦二人きりでのふるさと探訪の様子が放送されていました。
ロングヒット曲『夢芝居』
現在はバラエティ番組などでも活躍されていて、プレバト!!(MBS)では俳句の達人として君臨しています。
下町の玉三郎や300年に1人の役者とも称された梅沢富美男さんですが、世代を超えて誰もが共感できる唄、今でも歌い継がれるロングヒットがあるのを知っていますか?
それが、1982年に発売された梅沢富美男のシングル『夢芝居』です!
『シクラメンのかほり』『愛燦燦』など数多くのヒット曲を生んだ小椋佳(おぐら・けい)の作詞作曲によるもので、翌年5月放送の『ザ・ベストテン』で舞台からの生中継が話題となり、同年の紅白歌合戦にも出場されました。
『夢芝居』は美空ひばりや桑田佳祐など多くの歌手にカバーされている名曲ですね。
それでも、発売から半年くらいは、全く評判にならなかったのですが『ザ・ベストテン』に出演したら、今までは何だったんだっていうくらい売れ始めたみたいです。
梅沢富美男さんは当時、役者が歌なんて歌うもんじゃないと思っていたから、歌番組の出演はことごとく断っていましたが、あるとき黒柳徹子さんから「あんた、私の番組に出なさいよ」って言われました。
それでも「その日は舞台があるので・・」と断ろうとしたら、「じゃあいいわよ、中継するから」って「今週のスポットライト」のコーナーでの中継出演が決まりました。
偶然というか運命というかヒットの裏にはいろんなことがあるものなんですね。
これからも、その歯に衣着せない言動で世の中を切って切りまくってください。
期待しています。
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